論文・研究・発表 アーカイヴ

日本占術協会では、会員を中心とした研究発表の場を設けております。 過去の研究発表を紹介いたします。
(掲載内容の一部およびすべては、当協会および著作権者からの許可無く、複製、転載または配布、印刷など、第三者の利用に供することを禁止します。)


もくじ
001 『他利のカウンセリングとしての占術的面接法について』ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ(2008年)
002 「子平推命とは何か」 小山眞樹代 (2014年)
003 「子平推命の醍醐味」 小月那央美 (2013年)(PDF)PDF


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『他利のカウンセリングとしての占術的面接法について』
  21世紀の心理学と運命学の関わり

ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ

「序」

現代の実験心理学者の中には、「占術」と「心理学」は何の関係もない学問だと思っている人も多いと思います。また、未だに、教条主義的で偏狭な知識人、文化人と呼ばれる人々の中には、占いを非科学的な迷信の一種と思い込んでいる人も少なくありません。確かに、近代科学が発達する歴史的段階にあって、多くの迷信や俗説が是正され、無知の闇に一条の光が差し込んだのは事実です。 しかし、今日の心理学の最前線においては、20世紀中期頃までのような、機能、能力重視の唯物主義絶対の実験心理学から本来人間が他の動物と違って保有している「スピリチュアル」な感覚、すなわち、「トランスパーソナル」な視点に立った心理学が大いに注目を集めています。そこで、今回は、我々が日夜研究を続けている「占術」と「心理学」の関係についてお話できればと思っています。

尚、この資料は、私が本日の講演に際しまして、頭の中にある雑然とした知識をレジュメのつもりで記述したものですから、多くの脱落した部分があると思いますが、皆様の温かいご理解をお願いいたします。

1、「心理学の略歴」

それでは、まず簡単に心理学の生い立ちについてお話しいたします。

心理学という言葉の語源は、ギリシャ語の「psyche(心)」と「logos(論理)」を合わせた造語で、1826年にドイツの哲学者ヘルベルトによって世に出たとされています。 心理学の源泉は、ギリシャの哲人プラトンやアリストテレスに求めることができます。その後、ヨーロッパは長い「暗黒時代」と呼ばれる中世の宗教的支配の無知な時代が続きますが、やがて17世紀頃になってドイツでは人間の身体と心を合理的に分析しようと試みたデカルトや心は観念の連合であり、観念は経験によって与えられると考えたイギリスのロックなどによって学問として研究する道筋がつきました。さらに19世紀になって、前出のヘルベルトが「psychology」すなわち「心理学」という名称の学問を立ち上げることになります。19世紀は、心理学が大きく発展した時代です。その頃の学者には、「ウエーバーの法則」で有名なE・ウエーバーや「精神物理学」のG・T・フェヒナーなどがいます。

そしてついに、今日「心理学の父」と呼ばれる、ドイツの哲学者にして医学者でもある、ウィルヘルム・ヴント(1832~1920)が登場してきます。彼はドイツのマンハイムに生まれた、今日でいえばやや引きこもりがちで、勉強もあまり好きでない孤独な青春を送ったといわれますが、ハイデルベルク大学に入ってから懸命に勉強するようになり、やがて、ライプツィヒ大学の教授となり心理学を科学の領域として確立する基礎を築きました。ヴントは、何かの条件によって意識されるすべての経験が「心の実態」とする「内観法」を実験に取り入れることにより、人間には複数の要素をひとつの塊として認識しようとする心的な働きがあると考えました。 すなわち、人間は、意識することの要素の集合、それ全体を「心」だとしたのです。内観法の実験実施によって、多くの「意識要素」を取り出し実証してみせました。

これに対抗して出てきたのがゲシュタルト心理学です。20世紀初頭、ドイツのM・ウェルトハイマーやW・ケラー、K・コフカなどの研究者たちの台頭です。ゲシュタルト心理学の根幹は「全体を認識すること」にあり、心は細分化しても意味を成しにくい、心を物理学的に分析するのはいかがなものか・・、と考えたのです。この証明として「仮現現象」による人間の心の動きを説きました。 その後、ドイツは「個よりも全体」を重視するナチズムが社会を動かすようになり、ドイツの心理学者の多くが、アメリカに脱出します。その結果、戦後の心理学の主流はアメリカに移って行きます。 このようにドイツには、ヴントの「構造主義学派」とウェルトハイマーなどの「ゲシュタルト学派」の大きな二つの流れがあったのですが、両派に主張の違いはあるにせよ、全体を統合的に考えようとするドイツの伝統的な哲学の流れが底流にあることはよく理解できます。いずれにせよ、こうした実験を主流とする心理学を「実験心理学」と呼んでいます。

さて、ここで、私たちのような「面接相談」にも大きな影響を与えた心理学者に登場してもらいましょう。この20世紀初頭の代表的心理学者はS・フロイト(1856~1939)です。フロイトはチェコスロバキア生まれのユダヤ人です。ライプツィヒからウイーンに移り住みウイーン大学の医学部を卒業してパリに留学しました。「精神分析」という心理学の領域を世に知らしめたのはフロイトの業績といえます。フロイトについて語るととても時間がなくなりますので、かいつまんでお話すれば、フロイトの考えた「心」のありかたは、「意識」「善意識」「無意識」で構成されているということです。特に大切なのは、この「無意識」で、自分では忘れてしまっていることでも、心の奥では記憶しており、それが、時々心の表層に上ってきて様々な現象を引き起こすというものです。その理論の証明として、フロイトは「抑圧」の概念を研究しました。その方法として、フロイトは夢の中の深層に沈みこんでいる無意識を探ろうとして「夢判断」を行いました。「精神分析心理学」の始まりです。 私たちが来談者に向かい合う時に、彼らが抱えている多くの問題の根底に、この忘れ去られたはずの「抑圧」が横たわっているのがわかります。しかし、精神分析をするには、非常に慎重な無意識の分析が必要であり、軽々に精神分析を試みることは、はばかられます。

フロイトを語れば、当然、その弟子であり、共同研究者であり、やがて独立して、一家を成す、スイスの心理学者C・ユングがいます。 一般的にユングは心のエネルギーがどこへ向かうかを研究して「外向性」と「内向性」というタイプ分析をしたことで知られていますが、ユングの心理学はなかなか難解な部分があり、一度や二度通読したくらいで理解できるようなものではありません。ユングは「偶然の中には必然がある」という考えを持っていたようですが、この思考は「占い」の本質と合致する部分もあるでしょう。ユングに触れるときりがありませんので、御興味のある方は個々に勉強してください。ユングは、無意識にも二つのタイプがあり、ひとつは体験によって得た記憶が無意識になっている「個人的な無意識」と誰もが知らないうちに持っている人類、あるいは民族としての記憶に起因する「普遍的な無意識」があると考えたようです。そうした観点から、ユングの研究は心理学のみにとらわれることなく、「神話学」「民俗学」「文化人類学」などにも広く及び、精神世界の巨人といわれるシュタイナーとも関連付けられて研究されています。

第二次大戦後の「心理学」は舞台をアメリカに移します。
アメリカの心理学の系譜は、W・ジェームス(1842~1910)の「意識機能論」に始まります。ヴントの「意識要素論」に対する意識は人間が環境に適応するために働くという、機能論です。 続いて、目に見えない「意識」を論じるのはナンセンス、「行動」だけが実験や研究の対象となりうるとした、J・ワトソン(1878~1958)の「行動主義心理学」が勢いづいてきます。 アメリカの目覚しい発展期と相まって、ワトソンの「行動主義」はアメリカ心理学の主流になりました。戦後のアメリカの繁栄を支える「生産性向上」と「生産管理」に適した人間教育が主流になった時代です。日本も当然この潮流に乗って、「経済成長」に役立つ心理学が重視されました。今では「記憶」と「管理」に軸足を持つ知能指数判別測定法として社会に強い影響力を持った「IQ」テストも、その人間性欠如の判断方法によって批判が多出し、IQ絶対神話も綻びてきましたが、その当時は、IQの高さが、人間の優劣を決する雰囲気もあったのです。

しかし、このような実験主義の心理学から、もう少し、人間本来の生き方、すなわち、人間性について考えようという人々が現れました。この考え方は1950年代の西海岸で発生したので、西海岸派と呼ばれた時期もあるようです。人間性に重きを置いた心理学を「人間性心理学」あるいは「トランスパーソナル心理学」と呼びます。この考え方の旗手はA・マズロー(1908~1970)です。彼は、「人間は自己実現のために生きる」と考え、自然の中に生まれ、自然の中で自然に死んでいく人間と生命体の本質的なあり方を研究しました。やがて、アメリカは朝鮮戦争、中東戦争、ベトナム戦争とたてつづけに戦争に参加することとなり、人心が荒廃しました。この荒廃した人々の心に平安をもたらすために「人間性回復運動」が起こります。

この社会潮流に合致した心理療法を考案したのが今日のカウンセリングの主流を成したC・ロジャースです。ロジャースの「来談者中心療法」「聞き取り中心カウンセリング」は、アメリカのみならず、日本でもカウンセリングの中心的存在です。さらに、人間は「肉体の眼」「理知の眼」「黙想の眼」をもっているとしたK・ウィルバーなど、「魂」「霊」に関心を寄せる心理学者も現れました。そこには多くの東洋思想が影響を与えています。

ざっと駆け足でやってきましたが、現代心理学は「実験科学と生産性向上の実験心理学」と「人間性を重視したスローな臨床心理学」に大きく分けられると思います。心理学というと「科学の牙城」のように思い込んだり、また、そのように感じたりしたい心理学関係者も多いと思いますが、人間の心は機械でできているわけではないので、これからの時代は心理学自体が唯物主義、科学万能主義的な頑迷化している心理的固定概念を超える必要があるのかもしれません。そうした意味からも、人間という生命体の中に存在していることを否定できない心理的領域である宗教をはじめ、スピリチュアルやオカルトなども含めて「トランスパーソナル心理学」系の研究が大きく発展していくと思います。

私たち占術家も人間心理の研究家の一員として、深く人間の心理を探求し、実践の場において来談者の人間性を大切にした対応をしていきたいものです。

2、「来談者中心カウンセリング他者認識カウンセリングへ」

昨今では毎日の新聞やテレビのニュースを見るのが怖くなるような事件が多発しています。特に、殺人事件の約半数が「家族殺人」という極めて異常な事態が起きています。終戦の頃のような物質的貧困は解消されたかに見えた21世紀は、心の面では決して平和で豊かな時代ではありません。今や世界規模で「心の荒廃」が蔓延しているといっても過言ではないでしょう。行きすぎた経済戦争は、「仕組まれた世界バブル論」、「ドバイとアブダビはソドムとゴモラ論」「ハルマゲドン現実論」など物騒な様相を呈しています。どこか70年代のアメリカの心理的荒廃が世界規模で起きているような気がします。

今、私たちに、大切なことは再び「人間性回復」を考えることではないでしょうか。 カウンセリングの世界にも変化が見えてきました。20世紀後半から21世紀の初頭にかけてカウンセリングの中心であったロジャースの「来談者中心療法」がその立ち位置を移していくように感じます。もともと心理学というものは30年くらいの周期で、潮流の変わる学問ですし、また、それだからこそ心理学といわれる所以なのかもしれませんが、とにかく、心理学は、今、ざっと見てきた経緯でもお分かりのように時代の趨勢で様々に変化して行きます。

すなわち、ロジャースの「来談者中心療法」は、当時の「人間性回復運動」の主幹をなす心理療法の技法であり、その功績は偉大です。 ただ、乱暴に言い切ってしまえば、「人間個人の懊悩はその個人の中で解決するしかなく、また、個人はその問題を自分自身で解決する力を持っている」という個人中心の自立主義です。したがって、カウンセラーと来談者(クライエント)との関わりは、ラポールといわれる深い信頼において、対談者が自分自身の心に問いかけたことを、あくまでも受容し、共感して、どこまでも側走する。カウンセラーは、ただ「聞き取る」ことに専念して「アドバイス」や「示唆」を与えることはしない。やがて、自分自身のことを語っている来談者は自らの語りの中で、自らの自立すべき何かを見つけていく。 これは、旧来型の占いにありがちな「ドグマの押し売り」や自分の生き様を基準に強引なアドバイスをする「高圧的人生相談」を排除できる極めて有効な手法です。

しかし、現実のカウンセリングの現場で、いくつかの問題があることもまたよく聞きます。
それを箇条書きにすると、
① 来談者を中心に置き過ぎるあまり、来談者の自己中心的な思考や行動パターンを客観的に是正することが困難。
② 「聞き取り」に専念するために、来談者の生活環境、人間関係の全容、及び、リアリティーが見えてこない。
③ 陳述内容の虚実の判断が難しい。
④ 来談者の自立にあまりに時間がかかり過ぎる。
⑤ マンネリ化から来談者もカウンセラーも言葉を失い、やがて、お互いに顔を見るのもイヤになり、せっかく、築いたラポールが崩壊していくのが残念。
などなどです。

20世紀とは別の状況から心の荒廃が進んでいる21世紀には、やはり、こうした問題を真摯に解決していく新しいトランスパーソナルな「人間性回復運動」の必要があるのではないでしょうか。 土地バブル崩壊からホリエモンが跳梁したITバブルの崩壊までの間の時代、社会の潮流は「成果主義」でした。いわば、どんな手段を講じても自分だけが勝ち残ればそれでよし、モラルよりもキャッシュが先、という非人情な即物的価値観が大手を振って歩き回った時代です。「勝ち組・負け組」に象徴される人間性の稀薄なエポックでした。しかし、現在、その「成果主義」もそろそろ馬脚を露し始めました。「人生、金の亡者となって生きるのみにあらず」という人間らしさが遅ればせながら顔を見せ始めています。そして今、社会が最も必要としているものは「自他協調」です。「個人中心」、すなわち「利己的思考」では地球も、人類も、隣人も、家族も、そして自分自身も救うことはできません。「自他協調」、すなわち「他利的思考」こそ21世紀の「人間回復運動」の根幹を成すものでなくてはならないと思います。心理学ではありませんがニッサン自動車のブレーンをして高名な舘岡康雄氏はその著作「他利性の経済学」の中で「聖地イスラエルの紛争解決には二つの宗教が互いに他利性を発揮する必要がある」ことを説いています。地球温暖化問題が深刻さを増すのも、その元凶は「利己主義」です。本当に「エコ」を地球規模で達成するには、まず、人間の英知を持って「利己」と戦わなければならないでしょう。「利己」を解決するには、「固定観念」に縛られることなく、他者を受け入れる広い心を持つことが大切です。心理学も学派、派閥に拘泥することなく、真に人間がホモサピエンスとしての英知を持って、人類の心の平和を探求していかなくてはならないと思います。これは、私たちがたずさわる占術界にも当てはまるでしょう。

もう、学派や派閥を競い合うのは時代遅れであり、偏狭な考え方です。21世紀は「他利的カウンセリング」が必要だと確信しています。 「個をして個を語らしむ」技法から「個をして他との関わりを語らしむ」技法を研究するとこが大切だと考えます。 もちろん、現代のカウンセリングも「来談者中心」「聞き取り専門」のロジャース式ばかりが存在しているわけではありません。 心理学者アドラー、エリス、マズローなどの考え方を基調とする来談者との関わりを一歩進めた面接技法も臨床的に研究され、狭い範囲ながら行われています。また、身体と精神の高次元の改革を目指すシュタイナーの「オイリュトミー」やグルジェフの開発した「グルジェフ・ワーク」なども人間性回復アプローチとして21世紀的な味付けがなされ展開しています。昨今話題の「コーチング」にも「ロジャース方式」がありますが、もっと人間としての関わりを重視したロジャース式以外の手法のコーチングも存在しています。心理学は心の理学であり、工学ではありません。したがって、様々な見解があり哲学があってもかまわないと思います。それぞれの理論にはそれぞれの立脚すべき根拠があり、哲学があり、思想があります。

しかし、21世紀は、その根拠を経典化して、学理によるファンダメンタルな考え方にはまり込むのは賢いこととはいえません。人間の魂を永遠に救済するはずの「宗教」が、今日もっとも忌まわしい戦争の旗印になっていることを我々はもう一度考え直す必要があるでしょう。「声高に唱える者が最も脆弱である」のは古今の真理です。私は終戦を境に戦前と戦後の思想転向を目の当たりに体験してきましたので、何につけても声高に叫ばれる論調、叫ぶ人を信用しないことにしています。心理学が心理操作の方面から宗教戦争の愚に追従しないことを願ってやみません。

3、占術における「他利的面接法」について

「占い」の面接技法は、特定の占法根拠に基づくアドバイスが主体であり、明らかにロジャースの「聞き取り専門」の面接法ではありません。直言するなら「占術」とは「アドバイスのあるカウンセリング」だということです。これは、どちらが正しいとかどちらが理にかなっているかという問題ではなく、来談者に対するアプローチの仕方が初めから違うのですから致し方のないことです。宗教の世界で言えば「宗旨違い」ということです。そうかと言って、優れた占術家は、決して占法根拠が導き出す結果をドグマとしてそのまま依頼者に告げることはまずありません。占法根拠によって「万象」の中から導き出された「一兆」、すなわち、ひとつの兆しを来談者と関わりながら二人三脚で考え、考えを聞き、また、説き聞かせてゆくという手法です。「占術」は民生委員の方が行う「人生相談」とも、まったく別の面接技法です。

過去において、一般の風評として「占い師」が胡散臭く思われたのは、実際に胡散臭いことをしたり、そう見えるように演出したからの結果であって、人類の英知である「占術」そのものが胡散臭いわけではありません。心理カウンセラーは来談者と面接する時にヴェールをかぶり、蝋燭を灯し、髑髏を小道具とし、長いつけ爪をつけ、神妙な顔で水晶玉など覗き込まなかっただけの話しです。こういうスタイルは実行している本人の意図とは裏腹に他人から見れば相当妖しく、いかがわしく見えるものなのです。テレビ番組のエンタテーメントとしての演出であれば、これは局側の「できるだけおどろおどろしくやってください」の依頼を受けてのことですから、遊び心で扮装してみたりするのも楽しいかもしれません。コスプレも人間の変身願望のひとつです。ですから、なにもそこまでやかましく言うつもりはありません。「占い」には古来エンタテーメントに通じるところがあるのは「三国志」の中で諸葛孔明が実証済みです。占いを遊びと割り切ればそれはそれでひとつの生業です。他人がとやかく言うべき筋合いの事柄ではないでしょう。コスプレに目くじらを立てるのは余計なおせっかいですから。 ただ、「占い」をトランスパーソナルなカウンセリングと同じ目線の面接技法に押し上げていこうとするなら、その演出を含めて、良識を持った来談者への対応が望まれます。誰が見ても、妖しいものは妖しいのです。せっかく人間の英知の結晶として伝承されている「占術」を自らの手でドブに投げ入れるのは愚かなことと言えましょう。

さて、相談に見える方は、当然のことながら、何かの問題、あるいは悩みを持っておいでです。自分で考えて解決がつかず、親兄弟にも相談できず、周囲に親身になってくれる親友もいず、他人に相談できる問題でもなく、鬱々悶々とした挙句に占術家の門扉を叩くのではないでしょうか。ここでお話ししているのは、椅子に座った途端に「チョー結婚したいんだけどぉ、私って、いつ結婚できますかぁ」というような能天気な占い遊びの範疇のことではありません。 思い余って駆け込んでくるような来談者に応対する場合は、こちらも真剣に向き合う姿勢が必要でしょう。

占術家が来談者と相対する時、もっとも大切なことは、以下のことです。
①来談者をきちんと正視して観察する。
②相談時間、料金など事前に了解を取り誤解を招かない。
③冷静に相談内容を聴聞して、「占的」を絞り込む。
④占法根拠に基づいて、問題解決のアドバイスを行う。
⑤ただし、そのアドバイスは「来談者の利己的問題」に由来していないかどうか、よく、人間関係や状況を咀嚼した上で行うこと。
①から④までは、すでに、皆さんが日頃細心の注意をはらって行っていることだと思います。

今ここで、問題は、従来の「占い」では「占法根拠の説明と陳述」に重きを置きすぎて、本来の問題解決の基本である「来談者の人間関係を含めた生活環境」を語ることがおざなりになっていることです。 人間は太古の昔から、「孤高」に生きる生命体ではありません。「集団生活」を営む生命個体です。したがって、個を語るのに他の個との関わりを無視することはできません。ですから、「他利」が働かないところに紛争が起こるのは当然です。もし、来談者が「利己」を起因として問題や不利益を蒙っているならば、「利己による弊害」に気づいてもらい、それを是正するようにアドバイスすべきでしょう。「占い」は「聞き取り専門カウンセリング」ではありません。アドバイスを加味するカウンセリングです。だからこそ、アドバイスの質の高さが大切になるのです。アドバイスとは神ならぬ身の人間が一人の人間(他人)の人生の去来について、何がしかの助言をする行為なのです。法的責任の所在は脇に置いたとしても、軽々に占法根拠を語れば事足りるというものではないはずです。「聞き取り専門カウンセリング」ではクライエント自身が「利己による弊害」に自ら気づくまでに気の遠くなるような面接時間と来会数が必要な場合も少なくありません。人間は、なかなか自己の不利を認めたがらない生き物です。よほど素直な人でないかぎり簡単に「利己的発想」が問題の根本にあることを認知しません。これからの時代はどこまでも本当に実証できる形での「Win-Win」でないかぎり紛争のない人間関係は成立しないことを私たちは深く知っておくべきではないでしょうか。
人間の心の平安のために、迷える魂の救済のために、人類の平和と共存のために存在するはずの世界宗教が「世界最終戦争(ハルマゲドン)」の元凶になりつつある今日、私たちは良識を持って「他利的人間関係」に思いをいたした「占術家」でありたいと思います。

(2008年・第30回日本占術協会シンポジウムでの発表より)


「子平推命とは何か」

小山 眞樹代

 日本に於ける東洋の[命術]で、一番多くの人に知られているものは「九星気学」と「四柱推命」ですが、子平は、その[四柱推命の原点]と言えば、解りやすいかと思います。
 昔から、インドでは結婚する時、お互いの「ホロスコープ」を交換する人が多いといわれますが、中国や台湾なども、「相手の「八字」(または、四柱)は何ですか?」と調べたりすることがあるといわれます(八字=人が生まれた時点の年、月、日、時の暦の記号、天干、地支、四組の八文字を言う)。
 一人の人間が、生まれた瞬間に、地球上の諸々の「理気」を受ける訳ですが、その時の「天上の気」「地上の気」を分析し、ある一定の法則を持って生成されたデーター、即ち暦から得た情報を「八字」に組み立て、本人の原点、これを【元命】とし、人生のスタート時点のカルテとして、これから成長してその身に受ける、年々歳々の地球上の気の変化により、その人の運勢のカルテが良くなるのか、悪くなるのか、治療法が有るのか、手術が必要なのか、それとも全く、健康、長寿、順風満帆なのか…。
 子平は、この八字の変遷、変化から全てを読み取って行きます。そのため、この暦の記号に隠されている天地の理気(すなわち、陰陽五行に区分された、十干、十二支)を熟知しないと判断が出来ませんが、解れば簡単、なるほど、なるほど、とパズルを解いて行くような病み付きになるような面白さとなります。
 「子平推命」と「四柱推命」の違いは何か? それは中国における歴史的背景が有ります。
 「四柱」は早くから中国の一般社会に広まり、時代とともに占術者たちが自己のアイデア、アレンジを加え「神殺」などの魅力ある用語を用い、また「八字」を倍の「十六字」に広げ、華やかに仕上げたものであり、「子平」は科挙の試験など、人材発掘や国家側の要人たちの為の命術として、一般庶民の目に触れさせない文献の中の運命学であったため、またその文言に面白い要素もなかったため、難しいと敬遠され、近代になっても広く世の中に受け入れられないものになりました。
先人は、早くから巷に流布された「四柱推命」を受け取り、後人は、紫禁城の奥からやっと最後に出てきた「子平推命」を受け取る事になった、とも言えるでしょう。
 ただ子平は、原点をアレンジしていない分(流派によつて、「蔵干」が違わない)、判断の基本に変化が無く的中率が高いので、最近は学ぶ方が多くなっています。 四柱推命も子平推命も両方出来れば、鬼に金棒でしょう。

「子平推命の歴史的背景」

 「子平推命」は、中国宋代初期の星命に精通した学者「徐子平(じょしへい) 」により、子平の原形の書『禄命法』から始まり、宋代末期の「徐大昇(じょたいしょう)」によってまとめられた、とされます。初め両者は同一人物と思われましたが、別人であり、元祖の徐子平の名前から由来するといわれるようになりました。また、根本的には「子平」の「子」とは、干支暦に使われている「六十干支」の第一番目の干支「甲(きのえね) 子」の「子」であり、それが代表する六十干支の総ての干支が、平均してバランスを保つ命式を持っているかを問う意味があります。さらに、もう一つ「子」は北の水局の「水」を示し、「平」は平衡、すなわち水が平らであるが如く、その人間の命式で示す要因のバランスが取れていることを吉とする命術であります。
 子平推命が、完全な形で確立したのは、宋代末期、徐大昇の『子平三命通變(へん) 三巻』からといわれています。
●上巻/註定真論喜忌論継善論
●中巻/歌訣(百章歌各格局歌十二長生詩訣)
●下巻/内外十八格局
 この『子平三命通變』からその後『淵源子平(えんげんしへい) 』『淵海子平(えんかいしへい) 』(現在の四柱推命は、江戸時代仙台藩の儒学者・桜田虎門がこれを解読し、『推命書』として流布したのが始まりとなる)などが新たに増版され、名前を変えられたことで徐子平の意図した子平推命ではない、「ア・ラ・カルト推命」(フルコースで学ばず、一品料理的に好みの部分だけ手軽に習得出来る方法が一般受けした)が広まりました。人の命運の情報を正しく引き出せない、統一性や脈絡を欠いた諸々の寄せ集めのものに変化した推命学が、流布されてしまったのです。
 しかし、その後子平は、『子平三命通變』の中巻「百章歌」「各格局歌」をベースにした、明朝の宰相である劉伯温((りゅうはくうん) 1311~1374年)によって、子平のバイブルといわれる『滴天髄(てきてんずい) 』が著され、解釈も古典から現代版へと変化、進化し、科挙の試験に合格し君子になることを重視した「成(せいはい) 敗」(成功と失敗)の格局論より、社会的立場を問わず、個人の幸福感を重視した順(じゅんはい) 悖による「禍(かふく) 福」(災いと幸せ)の天干相互の干関係を見る(六十干支のバランスを大切にする本来の意味)論理を見直す風潮の格局論も出、やがて「透(とおるは) 派」という門派の初代・梅素香(ばいそこう) の『子平洩天機(しへいえいてんき) 』(滴天髄、洩天機共に字の如く天の機密の骨髄をポタポタと地上の人間に洩らす、天地の法則を人間に知らせる、の意味)や同じく同門の王文澤の(おうぶんたく) 『透派子平大法心得(しへいたいほうしんとく) 』などにつながり、発展してきました。特に王文澤は、子平命造の五行を数値化し、その点数計算により明確な格局の判定が可能となり、『滴天髄』の理論を正しく近代に導いた、徐大昇、劉伯 温につぐ偉大なる功労者であるといえるでしょう。
 そして現在、私如きが学べるようになったのも、中国の文化大革命によって明代の刊本『新(しんぎ) 誠(せいい) 意伯(はくひ) 秘授玄徹(じゅげんとおる) 通旨滴(つうしてき) 天髄(てんずい) 二巻』(劉基題、長庚舘刊、台湾國家圖書館)の原書が台湾に流出したためであり、さもなくば未だ中国大陸の奥(紫禁城から峨眉山へ)に眠り続けていたであろう宝刀であったわけです(劉基=劉伯温)。
 いろいろと長くなりましたが、「子平推命」とは天の叡智、法則を知り、それによって個々の身を修め、国家を平安に治める「修身斉家治国平天下」が目的の儒教的な哲学的運命学であり、「君子知命」、すなわち君子は己の命を知り、自己の出処進退を覚悟し、慌てずに心の用意や対処をすることを教養とした先人の教えです。

「子平推命の手順とポイント」

子平は本来簡単、十干、十二支を判断すれば解りますと申し上げましたが(確かに四柱の天干、地支の相互関係を行運を交えて読むだけである)、その簡単方程式を解くために実は、多少複雑な手順があります。この手順の煩雑さが、子平推命の発展を遅らせたともいえるでしょう。 今これらを御理解頂けるようにお話するには、シンポジュウム講演、という時間内では到底無理でありますので、ここではその手順とポイントを簡略にご説明することで、お許し頂く事に致します。

(1)「四柱」を組み立てる…通常の暦から、年、月、日、時は配当出来ます
(生時が解れば、時差も加えます)生まれた時間が不明の場合は三柱迄作り、不足面は大運と歳運の干支で充当したものを参考にします。特に、60代後半70代80代にめぐる大運が良いか、悪いか、に注目します。又、命式の月令(生月の四季の五行のエネルギー・・月支蔵干)と同じ五行の干が廻る時期は、何らかの変化や、発展と見る手掛かりとなります。ただし、蔵干が凶物(凶物深蔵と言う)の場合は危険な時期となります。

(2)「八字」の地支(十二支・根と言う)に含まれる五行の成分を配当する
 例:平成23年辛卯年──地支、卯は(木)となる。
   同年10月は、戊戌月──地支、戌は(土金火)となる。
子平推命においては、四柱の「天干」の相互関係がよいことを大切にしますが、次に重要なのは、地支の配置が天干と上手くつながっているか、ということになります。地支がその働きを失っていれば、人生や物事に永続性がなく、また、具体的な裏づけや効果を得られない傾向になるのです。
 そのように大事な地支の十二支ですから、各支がどのような力を持つのか、五行は何に当るのかを覚えてください。また、十二支には季節によってエネルギーの強弱があります。十二支に含まれる「力」のパーセンテージも覚えましょう。

●十二支の成分表
十二支五行根として含まれる五行季節の強弱
水行水 (100%) 仲支(ちゅうし) No1
うし 冬の土用土水金 ( 33%) 各五行につき季支(きし) No3
とら 木行木火 ( 50%) 各五行につき孟支(もうし) No.2
木行木 (100%) 仲支 No.1
たつ 春の土用土木水 ( 33%) 各五行につき季支 No.3
火行火金 ( 50%) 各五行につき孟支 No.2
うま 火行火 (100%) 仲支 No.1
ひつじ 夏の土用土火木 ( 33%) 各五行につき季支 No.3
さる 金行金水 ( 50%) 各五行につき孟支 No.2
とり 金行金 (100%) 仲支 No.1
いぬ 秋の土用土金火 ( 33%) 各五行につき季支 No.3
水行水木 ( 50%) 各五行につき孟支 No.2

(3)「六親」の配当をする。六親とは何か
◆五行におけるもう一つの表現、六親
六親とは一般的に、父、母、兄、弟、妻、子の総称ですが、これは昔の男性中心の社会の見方で、現代では父母が親として、親、子、兄、弟(姉、妹)、夫、妻が正しいでしょう。いわゆる家族、親族、仲間を示しますが、子平では(この解釈は一般の四柱推命においても同様)組み立てた命式の十干を六親に区分し、それを特別な用語を用いて表現し、その配当された六親とまた、もう一つの象意を含むものとして解釈を加えています。
 たとえば、六親の「母親」を「印綬」(正印と偏印の総称)と表現します。母は自分を生じるもの、我の利益となり、保護するもの、の象意をとっています。「印綬」は自己の充実を図る学問や知恵、研究心、貴人、目上の引き立て、先祖運、家柄のよさ、神仏のご加護(宗教)、社会的なバックアップ、名誉、地位の向上、評価、などの意味を持たせています。そして印綬がその命式にバランスよく働いていれば、生まれ育ちのよい、知性教養もあり社会的立場を得られる、人脈豊かなお坊ちゃま、お嬢様と解釈します。
 しかし、その印綬が命式にとって悪い働きをしていれば逆の作用を生じますので、自己中心の世間、目上、親に甘える依頼心の強い、悪知恵の発達した、パラサイト的人格と解釈します。従って社会的な立場も得られず、プライドだけが高く、自己の世界に閉じこもる傾向を生じます。
 このように六親それぞれに名称があり、各象意の意味がありますので、深く解剖する前に名称だけでも覚えましょう。
注:通常の四柱推命では、六親を通変星ともいいます。また、「正印」を「印綬」と表示します。子平推命では「正財、正官」に対して「正印」といい、「偏財・偏官」に対して「偏印」といいます。「印綬」とは正印と偏印を合わせて「印」そのものの総称となります。
 尚、六親は十干関係の「正剋」から求められているもので、単に記号であるため名称それ自体には吉凶はありません。

●六親表
四柱の中で日柱の干は、自己を示し「日主」といいます。六親の求め方は「日干」からそれぞれ年干月干時干の天干を見て六親を配当していきます。
(日干) 癸壬辛庚己戊丁丙乙甲 六親
(他干) 癸壬辛庚己戊丁丙乙甲 比肩 (ひけん)
壬癸庚辛戊己丙丁甲乙  劫財 (ごうざい)
乙甲癸壬辛庚己戊丁丙  食神 (しょくじん)
甲乙壬癸庚辛戊己丙丁  傷官 (しょうかん)
丁丙乙甲癸壬辛庚己戊  偏財 (へんざい)
丙丁甲乙壬癸庚辛戊己  正財 (せいざい)
己戊丁丙乙甲癸壬辛庚  偏官 (へんかん)
戊己丙丁甲乙壬癸庚辛  正官 (せいかん)
辛庚己戊丁丙乙甲癸壬  偏印 (へんいん)
庚辛戊己丙丁甲乙壬癸  正印 (せいいん)

●六親の「生」「剋」図 「比肩」は、我を示しますので、日主と同じ「干」が比肩となります。
日主と同じ五行の陽干か陰干が「劫財」に当ります。

これをまとめると次のようになります。
◎日干と同一の五行で干の陰陽が同じ─比肩
◎日干と同一の五行で干の陰陽が異なる─劫財
◎日干に生じられる五行で干の陰陽が同じ─食神
◎日干に生じられる五行で干の陰陽が異なる─傷官
◎日主が剋す五行で干の陰陽が同じ─偏財
◎日主が剋す五行で干の陰陽が異なる─正財
◎日干を剋す五行で干の陰陽が同じ─偏官(七殺)
◎日干を剋す五行で干の陰陽が異なる─正官
◎日干を生じる五行で干の陰陽が同じ─偏印
◎日干を生じる五行で干の陰陽が異なる─正印(印綬)

注 :「傷官」だから必ず傷つける作用ではありません。
     傷つける立場になるか、ならないかというのは、干関係の組み合わせと強弱によって判断します。

(4)組み立てた[命式]の整理をする
命式の整理とは、「八字」の五行が完全に働いているか?隣合った天干、地支の相互関係の作用によって、その働きを、失っていないかどうか、(子平には、隣同志で相殺したり、倍に増えたり、違う五行に変化したりすることがある)知る為に、並べた「八字」を再度調べ、手を加える事をいいます。 もし、この作業の手を抜くと、この後にする、命式の点数計算、そこから判断する、命式の「格局」が間違えたものになってしまう為、面倒でも細かく見る必要があるのです。即ち「整理」は命式を【数値化】するための準備です。

-手順は次のとおりです-
天干相互に[干合]があるか。
地支相互に[支合]があるか。
地支相互に[支冲]があるか。を調べます。

1. 天干の整理
-お互いに干渉し合う十干の組み合わせがあり、それを「干合」という-
「干合」とは十干のある特定の干同士が特殊な相互関係を持ち、作用し合うことをいいます。そして、その組み合わせが条件によって変化し、他の五行に姿を変えることがあります。 (『滴天髄』では、これを「化象」といい、変化した二つの干を一つの五行の塊りと判断しています)
次の『透派子平大法心得』の原文の一文を見てください。
「干合當令必変化 合己加倍合他無」
「干合は令に当れば(変化する五行と命式の月令が同じ五行になること)必ず変化し、己(自己、日主)との干合は倍を加え、他の干合は無となる」といっています。これをまとめると干合は変化干合、倍加干合、無作用の干合(干合去ともいう)の三パターンがあります。

変化干合
-元の命式から異なる姿に変わる干合-
命式の四柱のいずれかが干合して、月令が変化する五行と同じ場合は変化します。変化の組み合わせは、下の表のようになります。

●変化干合表
天干の組み合わせ
(干合名) 条件変化化象 (または化神)
甲-己 月令が土化土 戊-己
乙-庚 月令が金化金 辛-庚
丙-辛 月令が水化水 壬-癸
丁-壬 月令が木化木 乙-甲
戊-癸 月令が火化火 丙-丁

倍加干合
-日干に関わる作用の場合-
日主といわれる自己を示す「日干」が、干合して変化出来ない条件の場合は、干合してきた相手の「干」が、日干に対して二倍の作用を与えます(相手の干が二つ加算されます)。

●例/倍加干合
1968年(昭和 43年)4月 11日生まれ
年 戊申
月 丙辰 (月令乙木)
日 辛亥  日主 

「丙と辛」は月令が水であれば「壬と癸」に変作用の干合となります。この干合は、日主に関わるときは倍加干合となります。

無作用の干合
-その働きを失う干合-
干合の関係になる組み合わせの場合で、月令を得られない場合は、変化干合出来ずその働きを止め、二つの干の存在は0ゼロとなり、ないものとされ、「干合去」(干合して去ること)といわれる無化しますが、この命式は春生まれで月令が乙木であるため変化出来ず、丙は辛に対して倍の作用を与えます。

●例/無作用の干合  干合去となる
1974年(昭和 49年)5月 15日生まれ
年 甲寅
月 己巳 (月令丙火)
日 丙辰  日主

無作用の干合の年干と月干は、何の働きもしないため、命式上には(干合後の命式) 記入されても存在しないものとします。この場合、日干の「丙」だけの(時間があれば、時干を加えて)人となります。尚、地支の辰と寅と巳は、働いていると判断されます。
この命式で月令が「土」であれば、年・月が化土して「甲」が「戌」、「己」はそのまま「己」になる変化干合として働きます。

尚、「変化干合」の場合は「化象」した「五行の塊」には其々のもつ特徴があります。「命式」が、「化ける」訳ですから、その特性の人物に変身します(独特な魅力や、カリスマ性がある) 古典の文言とその解釈をご紹介しておきます。

○ [丙合辛生、鎮掌威権之職(ちんしょういけんのしょく)]
 -丙と辛が合って生じる時、すなわち「月令」が水で「化水」と変化して「化水格」と
  成る時、権力、権威をその掌に収める職業に就くことが出来ます-

政治家や国家が主催する行事に関わる役目などを得る、また、裁判官、弁護士、外交官、税務署、警察関係、政治家、高級官僚など国家側の要人となり権威を示せる人物となる、の意味となります

2. 地支の整理
-お互いに干渉し合う十二支の組み合わせがある-

次に地支の働きが完全であるか否かをチェックします。地支には天干の働きに力を与える大切な要素があります。それぞれが組む天干の五行を地支が持っていることが、天干の働きに力を与えることになりますので、隣り合う柱の地支同士が干渉し合い、その働きを止めていないかどうかを調べることが必要となります。 地支には「支合」と「支冲」という二種類の組み合わせがあります。一つの命式の中に、この組み合わせがなければ、四つの柱の地支はとりあえず(大運、歳運で組み合わせの支が出現する場合もあります)完全に働いていることになります。では支合、支冲の原理と組み合わせを見ましょう。次の通りとなります。

支合  -二つの支が仲良く結合して固まる作用-
子 ⌒丑  寅 ⌒亥  卯 ⌒戌  辰 ⌒酉  巳 ⌒申  午 ⌒未

組み合わせの条件は、二つがある一定の角度を持つもの同士となります(30度、90度、150度)。(注 :総ての九〇度(他も)が結合するわけでなく、むしろ不調和が多い。)
 命式において年月、月日、日時と隣り同士に支合があれば、その二つの支はお互いに干渉し合って手をつなぎ、天干に対しての働きが失われているものと判断します。それを「合去」といいます。

支冲  -二つの支が反発し合う仲の悪い関係-
子←→午 丑←→未 寅←→申 卯←→酉 辰←→戌 巳←→亥

組み合わせの条件は、互いに対冲する一定の角度を持つもの同士となります(一八〇度)。
支合と同様、年月、月日、日時にあれば互いに反発し合って干渉し、天干に対する働きを失うと判断され、それを「冲去」といいます。姿はあっても実体がないため、去っていると表現します。従って「去」といわれるものは、命式の数値で計算される点数に加算されません。

次に、この合冲が四柱において複雑に絡み合って来る場合、いくつかの決め事があります。面倒でも基本をマスターすることによって、的確な判断が楽に出来るようになりますので、例を参考にして覚えてください。
次の文章を見てください。
「支合支冲、各失其用、冲遇合則抵消」
「支合、支冲はおのおのその用途を失い、冲が合に遭遇すれば、すなわち逆らって消える」とあります。また、逆も同じで「合」があるところに「冲」があれば、「合を冲で解く」ことになります。そして命式の合と冲に逢った三支は、用途を失わずに有用となります。

支合、支冲が同時に重なる特例
-異なる作用の干渉が同時に来ると、逆に干渉を解いてノーマルに働く-

●例/支合、支冲が同時に重なる特例
1966年(昭和 41年)7月 17日生まれ
丙午 ┓合  (火)
乙未 ┛┓  (土・水・金)
丁丑  ┛冲 (土・火・木)

三支の根午未丑は、有用となり「去」はしないで生きる。

(5)「月令」を求める
 四柱推命で言う処の月支元命、大事な要因です。一般的には「月令」とは、新月の時を0ゼロとして起算する日数、最も近い朔(太陰暦の一日。北方、月の黄経が太陽の黄経に等しい時の称)を起点として、その時迄の平均太陽日のことをいいますが(月の満ち欠けの度合いを示す)、子平では、その時の季節における五行の配当の区分をいいます(その季に一番強い五行)。命式の天干の五行が、その時の季節の五行と同じであれば「月令を得た命式」といい、または、「当令」(月令に当っているという意)しているとも表現されます。 子平の古典では、月令を得た命式のみが一流である、「欲知貴賤先觀月令及提綱」(人の貴命か、賤命かを知りたくば、まずみよ。月令と提綱〈つながり透干のこと〉)といわれましたが、明代の劉伯温の『滴天髄』の時代になると、月令を得ていなくても、四柱の干関係がある一定の条件を備えていれば充分一流になれる、と判断に柔軟性が出ています。
 一方、「蔵干」とは、月令の五行の干のことを示し、五行が「木」であっても蔵干は、「甲」「乙」のどちらか一つになります。「蔵干」は、天干として表面に出ている命式上の「干」に対して、月令として持っている「干」ということになります。
 その命式が「月令」として内面に持っている五行が、天干と同じ「干」であれば、より一層、その命式の天干が季節のエネルギー(気)を得て強く活躍することを意味します。 「時干」は、同じ五行の「木」ですが、月令の蔵干が「乙」のため、時干の「甲」が陽干であっても、日主の「乙」のほうが強くなります(具体的には、時柱の目下、部下、子供、兄弟、男性であれば恋人や妻など、近くの人間に頼りながらも、自己の希望や信念を通し、自己確立してゆくタイプとなります)。
 ただし、その命式によって、月令が悪い「干」を助ける場合もあり(忌神の天干の月令を得たもの)、悪さが月令を得ることにより、三倍の強さのエネルギーを受けて、その命式の持つ凶兆が拡大することになり、人によっては、月令を得ないほうが吉の場合もあります(悪い月令を内蔵することを「凶物深蔵」という)。
 たとえば、酒乱に飲み放題の特典を一生与えたような、悪さの火に油を注ぐような状況となります。また、「大運」「歳運」などの運の運びで五年間だけ、また一年間だけの期間限定の凶物もあり(逆の期間限定の一流の才能もある。)、月令の吉凶は、それぞれの命式によって異なります。
 この蔵干の算出方法は、紀元前104年頃、前漢の末期に陰陽五行説が出来て、天体観測法も進歩し、星の運行や地球を廻る太陽の周期も正確に研究されて暦が作成されました。その暦は五行が季節に配置されたものを使用し、太陽の黄経360度を十干で割り、四季に「土用」を振り分けたもので「節気蔵干」といい、中国の正当な蔵干論です。
 尚、「土用」は、皆様の知っている土用のうなぎの夏だけでなく、春、夏、秋、冬と四季にあります。 陽月の土用は、陽支の土、「戊」、陰月の土用は、陰支の土、「己」を配当しています。

●節気蔵干表
太陽の黄経 360度 ÷ 10干= 36度なので、1干につき 36日間を配当する。

暦 四季と五行
春(木)
甲甲甲 寅2月
乙乙甲 卯3月
戊乙乙 辰4月
夏(火)
丙丙丙 巳5月
丁丁丙 午6月
己丁丁 未7月
秋(金)
庚庚庚 申 8月
辛辛庚 酉 9月
戊辛辛 戌 10月
冬(水)
壬壬壬 亥 11月
癸癸壬 子 12月
己癸癸 丑 1月
 ただし、用のみ四季に分割して戊 18日+ 18日= 36日間、己 18日+ 18日= 36日間とした。
 春の土用 節より一三日以降 夏の土用 節より一二日迄
 秋の土用 節より六日迄 冬の土用 節入り月支(生月)

(6)「命式」に点数をつける
─命式の五行を数値化することによって、どの柱を生きる目的にすればよいか解る─

(格局を定める前の準備)
 次に、いよいよ命式を数値化する作業に入ります。それによって命式のタイプ(格局)が決まります。では点数計算の方法を覚えましょう。尚、計算が苦手な人は、点数が一目で解る数値一覧表を使ってください。
 まず次の文章を見てください。八字の強弱を数値化する方法、透派十代の王文澤の著『透派子平大法心得』からの抜粋です。

「五行各設基数為二、当令則三、支合支冲、各失其用、冲遇合則抵消。干為係数、支為指数、各以命中幾数而計之」

五行の数値は、各々基本数は、根一支に対して「二」(二点)、そして「当令(月令を得ている五行)」しているものは、すなわち「三」(三点)となります、といっています。次の文の支合、支冲は、それぞれその用途を失い、冲に合が逢えば、すなわち消える、という文面は、前の地支の整理で引用しました。
 次に計算方法を述べています。天干は係数で計算し(着目する変数に掛かっている数)、地支は指数で計算する(ある数の右肩に付記して、その累乗を示す数字)、各々命式中に幾点あるかを合計する。その合計で、日主は何点、財帛は何点、官殺は何点と計算してゆきます。一局集中の人は、ある五行だけの点数しかない場合もあります。
 尚、月令を得ているものを「当令」、月令を得ていないものを「不当令」と表現します。
次のA子さんの命式で計算してみます。

●A子さん  1973年(昭和 48年)4月9日 15:30東京都生まれ
 節より12日以内であるため、月支辰中の乙木が月令

  天干地支  六親   根
年 癸(水)丑 偏印 土・水・金
月 丙(火)辰 傷官 土・木・水
日 乙(木)亥 日主 水・木   当令
時 甲(木)申 劫財 金・水   当令

(水) ...1干4支(不当令)
1×24=1×(2×2×2×2)=16点
(火) ...1干0支=1点
  (例えば2干0支の場合は2点になります)
*0支の場合は、天干のみを計上し、 干につき1点とします。その場合、当令、不当令を問いません。
(木) ...2干2支(当令)
2×32=2×(3×3)=18点
金 ...
土 ...
*金(官殺)と土(財帛)は、根はありますが、天干がないので0点とは表示されません(ただし、行運で天干が来ると1干2支=④点が現れます)。

● B子さん1947年(昭和22年)2月22日 14:00東京都生まれ
月令甲木

(初めの命式)  
  天干地支  六親   根
年 丁(火)亥 正財 木・水   (変化干合化木)
月 壬(水)寅 比肩 木・火   (変化干合化木) 亥寅の合
日 壬(水)申 日主 金・水   (変化干合化木) 申寅の冲
時 丁(火)未 正財 土・木・火 (変化干合化木) 

    ↓

(変化した命式)
天干地支  六親   根
年 乙(火)亥 劫財 木・水   
月 甲(水)寅 比肩 木・火   
日 甲(水)申 日主 金・水   
時 乙(火)未 劫財 土・火・木 

木 ...4干3支(当令)
4×33=4×(3×3×3)=108点
火 ...
水 ...
金 ...
土 ...

この命式は年と月、日と時で、二組の干合があります。そして生まれ月は春の月令が「木行」であるため、変化干合となります(丁壬干合は化木)。よって命式は、変化します。
 注: 実際の場合は、初めの命式に〈変化干合化木〉のコメントを加えて使用。化木は甲乙でなくて木行の塊りとなるため丁壬〈化木〉と示す。

 このB子さんの命式は、日主に一局集中ですが、行運で他の五行がめぐれば、食傷は四点、財帛は二点と点数は入ります。

下の数値一覧表は王文澤の原本でも四干四支迄ですが、あえて五干五支迄の表を作成しました。B子さんのように四干同じ干の場合、大運と歳運のどちらかに同じ五行がめぐって来た場合、五干となるからです。同様に地支も四支ある人が行運であと一支来た場合、五支となるからです。

●数値一覧表

0支 1支 2支 3支 4支 5支
当  令 0干
1干 27 81 243
2干 18 54 162 486
3干 27 81 243 729
4干 12 36 108 324 972
5干 15 45 135 405 1,215
不当令 0干
1干 16 32
2干 16 32 64
3干 12 24 48 96
4干 16 32 64 128
5干 10 20 40 80 160

月令を得るということがいかにエネルギーがあるか、不当令と数値を比較してください。

(7)「格局」を定める…命式の分類、パターンが解ります。

1 格局とは何か
 ─格局は分類の他に、人生の目的、基盤、その人物の主体を示す。また、格局には「真の格局」と「仮の格局」がある─
 さて、命式を作成し、命式を整理し、命式の点数計算が終わると、子平の特徴である「格局」を求めることが出来ます。
 格局とは、命式を分類する概念(物事を本質的に捉える思考の形式)になります。この命式は「何格である」というのは、この人の人格は二重人格である、または、何々タイプである、というのに似ています。
 一つの命式を「何々格」と定めることによって、色々なことが解るのです。格局は単に分類するだけでなく、その命の人生の目的、基盤、主体を表します。格局を知ることによって人生の方針を定めることが可能であり、それがいつ頃であり、願望達成能力はどのくらいのものなのか、その目的達成の手段は何か、取り巻く環境はどうなのか(格局を取り巻く「用神」が、その目的達成手段となる)などが解ります。そういうわけで、格局を定めることは子平推命にとって、最も大切な要なのです。
 そしてまた、格局が取れたら一人前、といわれるように、格局を判定するのにとても難しい命式もあります。どんな格局なのか、首をかしげるような、「格局」そのものが成立しない命もあります。
 その場合は、「元命」─元々の命式─にめぐり来る大運や歳運がいかに作用を加えるか、によって判断してゆきます。一生ぼんやり生きていた人が、振り返れば、ある一時期だけ人が変わったように輝いた、活躍時代があったなどとあれば、その時期だけ「ある格局」が成立していたと判断出来ます。 ですから、初めから自分の格局が解れば、一生の内でいつ頃ブレイクするか予想して人生設計を立てられるのです。 「君子知命」とは、まさに君子たる者、自分の命を知って、自己の出処進退は自分で決める、という運命学の原点となるのです。
 また、人は往々にして「世を忍ぶ仮の姿」といわれるように、今現在「仮の格局」で生きている場合が「真の格局」を得て、あるいは選んで生きていれば、一流の世界で成功する可能性があるのに、横道にそれたり、気づかずにチャンスを逸しているのです。やはり、「知命」は大切で、当人が真と仮のどちらの人生を選んでいるか、見極める必要があります。
 真の格局...蔵干や月令が、格局の構成に含まれているもの。すなわち月令を得ている天干が、格局になっているもの。
 仮の格局...月令を得た五行が天干になく、命式の中で一番点数の高い干を格局にしたもの。この場合、月令と同じ五行が行運でめぐる時、真の格局に変化することがある。 (『滴天髄』の「真仮論」より) 注 :ただし、月令が命式にとって忌神でないことが前提。また、仮の格局でも発展成功する天干相互の干関係のよい命式もあります。 昔「女優」であった人、また「アナウンサー」であった人が一国の大臣となり、しかも並み居る閣僚を抑えて、その名をとどろかすなどは「仮の格局」から「真の格局」に移行した姿であると見ることが出来ます。

2 大きい二つの区分「外格」と「内格」
  ─外格の中にも区分があり、内格の中にも区分がある─
格局には、大きく分けて二つの区分があります。
①外格(從)…武職
 一匹狼的仕事人間、ブルーカラー的な専門職向きの武士タイプ。
②内格(不從)…文職
 環境や対人を上手に使う、ホワイトカラー的なバランス人間、公家タイプ。

 外格は、命式の五行が一方の五行に偏るものをいいます。その命はその五行に従うため、「從」といいます。内格は、命式の五行の偏りに対して、それを抑えるものや扶けるものが、他の天干地支にある場合をいいます。その命式が一つの五行だけに従わないため、「不從」といいます。したがって外格は「一局集中」を吉とし、内格は「バランス」を吉とします。結果として、外格はその事柄─ある五行の能力─(外格は専門的才能に恵まれている)だけを生かして生きるタイプで、それ以外はあまり世間を上手に渡れない個性派となります。それに対して内格は、あまり一つの事柄のみに集中せず、広く世間に関心を向けて、人脈や環境を生かしながら要点を掴んで生きるタイプで、常識派となります。

 以上を解りやすく区分すると、大体右上の図のようになります(もちろん例外はたくさんあり、必ず次のように決定されるわけではありません)。
 この後、手順はまだまだ続き、「外格」の何格か、又は「内格」の何格か、その格のテーマは何か、又、命式の判断には、格局以外に、「調候」と言う、季節が命式に与える作用を読む、判断手順もあり、<「格局」で吉でも、「調候」で凶>又<「調候」で吉でも「格局」で凶>の命式も現実にはあり、御説明したいことは、沢山残っていますが紙面が多くなりすぎました、後は「専門書」をお読み頂く事で、お許しを頂きます。
 尚、最後に、少しは易しく楽しい物と、少しは為になるものをと、追加しました。 紙面がより多くなります事、意図を御理解下さいます様に。

外格――砦、辺境の地を死守する武職(戦闘タイプ)
作家、画家、建築家、冒険家、発明家、マニアックな分野の実業家、開業医やオリジナルな店などを開く自営業者、マスコミ関係者(特にフリーの)、修行僧的な宗教家、フリーの占術家など。一匹狼的仕事人間、一芸に秀でる能力者。バランスよく生きるのが下手。 夢と希望に野心を持ってチャレンジする、自己の才能だけが頼りの専門職タイプ。◎女性はキャリアウーマン・独身タイプ
内格――中央政権の地を守る文職(安定と防衛タイプ)
公務員全般、組織に属した研究員、教職者、大学病院勤務医、看護師、税理士、会計士、国選弁護士、大きな団体、組織の実業家、宗教団体を運営する宗教家、占い専門店に所属している占術家。対人関係に恵まれて育つ能力者。センスよく生きるのが上手。人脈を上手に使いこなす。立場や家庭が頼りの常識人。

「命式の判断」
 甲から癸迄の十干の性情を知ることで、格局が不明の場合いでも、命式の大まかな判断が出来ます。

  • 組み立てた命式の「四柱」の中で、一番点数の多い「干」、又は月令を得ている「干」を見て下さい。格局によって、その干が、喜神になるか、忌神になるか、逆転する場合もありますが、判断の目安になります。一般的には同じ人間の「長所」と「短所」になります。
  •  自己分析をして、長所の部分が多ければ、その「干」は喜神であり、短所の部分が多ければ、忌神となります。(大運、歳運の流れで時代により変化が有りますので・・今年の私はいつもと違う性格になりました・・と言う判断はここではしないで下さい)その場合、行運で同じ「干」や干と五行が同じ「根」(十二支)が廻れば、喜神なら運気上昇し、吉運となり、忌神なら凶意の多い年と判断出来ます。
  • その他、「四柱」に色々な五行の「干」が同等な力である場合、日主(日干)を優先に見て、年、月の「干」は表面の顔(又は若い時代の傾向)、日、時の「干」は内面の顔(又は晩年期の傾向)と判断し、あまり人生に大きな変動の波をかぶらない、平凡でも安泰な、バランスのとれた世渡り上手、と見ることが出来ます。
  • 尚、「四柱」の中で一つの五行が、特に点数が高い場合、人生はやや波乱が多く、世に出て出世や何者かに成ることが有りますが、どんでんも多く、個性的なタイプと見ることが出来ます。
注:本来「子平」は格局が取れなければ命式の正しい判断は出来ません。これはあくまでも目安です。又、命式中に、「干合」「合、冲」が有る場合は命式そのものが変わる為、命式の整理をしてからの判断となります。

尚、拙著「子平推命」には、このほかにも沢山の、原典からの秘伝をご紹介しております。上記のテキストは、拙著「完全独習版子平推命」(A5判612頁)-説話社出版ーより一部抜粋、加筆、再編したものです。

本発表は、平成23年・第33回日本占術協会シンポジウムで用いられた内容からの抜粋です。


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